信州大学案内2015
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毎日が、違う日になる。問われるのは判断力。学長 私は学長になり教授職が終わるにあたって、いろいろなものを片付けていて気づいたことがあります。昔はグラフは自分の手で書いて、それをペンできれいに清書していました。今はパソコンで、カチャッてやれば出来てしまいます。何が違うのかなと考えたら、昔は手で書きながらしっかり考えていたんですね。考える時間がすごくあったんですよ。今はカチャカチャで終わりなので、その違いはもしかしたら大きいのではないかなと…。昔は一個のデータに対して、大いに想像を膨らませ、ありもしないことまで考えていたんですが、今は常識的な考えに陥っているのではないかという気が段々としてきているんです。宮崎 それはありますね。手を使って、指先を使って書くという行為は、何かものを考えることに結びつきますね。紙と鉛筆で落書きをしながらいろいろ考えて、最後にまとめる際にはパソコンでいいんですけど、最初からワープロで打ったものって、誰も読んでくれないということが往々にしてあります。学長 私は昔、論文は手でノートに書いて、それを清書していました。そうすると2回は必ず見るので、考えを変えることも出来るんです。多分、最初からパソコン入力すると変更しない、あとはおそらく前も書いたなと思えば、コピペして終わりにしてしまうんです。手で書けばコピペの習慣は生まれません。同じ内容になったとしても、少し変わっていると思います。圡井 無駄ではない無駄ってあるんですね。宮崎 そうやってオリジナルが生まれるんだと思います。絵描きも同じで、デジタル時代になって本当にコピーしたような絵が増えましたけど、そうでない時代は結局手で描くわけじゃないですか。そうすると見本があって写しても、同じにならないんですよ。それがその人の個性になったり、オリジナリティになったりするんです。圡井 そういう“積極的な無駄が生まれるような環境”であるといいですね。学長 信州大学にはそれがあるんだと思います。東京などの都会だと、通学時間が長いでしょう。片道1時間半とか2時間の時間を、信州大学の学生は有効に使えていると思うんです。どう使うか…友達と一緒に過ごしたり、美ヶ原でボーッとしたり(笑)。多目的に使えるじゃないですか。長時間の通学は、いわばルーティンみたいなものだと思うんです。信州大学では、今日はこれをやってみよう、明日は違うことを…と、完全ルーティンではない生活が送れるはずです。宮崎 同感です。仮に同じ事をやっていても、今日は雪が降りそうだけれど、バイクで行って大丈夫か、この雲行きならどうする…とか、そういう判断を求められるわけです。そんな判断に振り分けられる感覚って実は大きいんです。「山賊の娘ローニャ」という作品を作ったとき、都心のCGスタジオに通わなければいけなかったんですよ。それで1年近く経ったら、自然みたいなものに対する感覚がすごく鈍くなってる状態に陥って、自分がおかしくなった気になりました。だからコンピューターで絵を描くのをやめて、もう一回紙と鉛筆に戻したことがあります。地域と一体になったキャンパスライフを。圡井 信州大学はキャンパスが県内各地にあるのが特徴で、それぞれに信州大学のお宝というものがあるんですね。またそれぞれに歴史的な建物が受け継がれていたりします。宮崎さんの作品の「コクリコ坂から」に出てきた古い建物、文化部室の「カルチェラタン」は、信州大学の前身、旧制高校の建物にも似ていると勝手に思っていたんですが、モデルがあるんですか。宮崎 あちこちのものをいろいろ集めていますね。ただ「建物」という考え方だけではありません。例えば信州大学の繊維学部講堂というのは、前身の上田蚕糸専門学校の講堂として養蚕業の発展のために作られていて、ただの入れ物としての建物ではないですよね。そこに文化や産業の期待といった“何か”が込められた象徴として作られているんです。そうすると学校の建物なのに、そこは地域の人たちにとっても「宝」になるんですよ。そういう“何か”が込められている建物は日本全国にありますが、その良さを活かしたいと思って描きました。学長 松本市の旧松本高等学校の校舎も、お宝の一つですね。信州大学では建物だけでなく、人も地域のお宝になっていきたいと思っています。過去において、繊維学部のよ宮崎吾朗さん2作目の監督作品「コクリコ坂から」。作品に登場する人物や、老朽化した男子文化部部室練「カルチェラタン」(写真右)などが、旧制高等学校のあったバンカラな時代を偲ばせる。「コクリコ坂から」? 2011 高橋千鶴?佐山哲郎?GNDHDDT信州大学 伝 統 対 談信大には、独創力を育む環境がある。Vol.2信州大学では、今日はこれを、明日はまた違うことを…と、完全ルーティンでない生活が送れます。(濱田)SHINSHU UNIVERSITY2
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