5年次 実施報告書
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‐41‐ リアルな体験(思いや感動)から紡ぎされた言葉にこそ価値があり,それが人の心を動かす言葉にもなるし,多くの人の共感を生むことにつながるという実感を確かなものにしていった。そんな姿を目の当たりにしながら,今思えば,教師自身も「共感を生む言葉とは」という問いに向かって,探究を重ねていた。その問いに対する教師自身の捉えが更新されていく度に,実際にキャッチコピーを作成した。自分と向き合って物語を編むということはどういうことか,まずは教師自身の経験をふまえて物語を編み,それをキャッチコピーに紡いでいった。そうすることで,見えてきた物語を編んでいく際の課題(経験が不足している生徒への支援)などが少しずつ見えてきた。「商品を初めて使ったときの思いを振り返ってみよう」「箸置きを使っている人へ,どんなリアルな思い出があるか聞き取り調査してみよう」など,支援の手立てが明確になってくる自分がいた。そして,「共感」とは何か,「共感を生むとはどういうことをいうのか」について考えるきっかけを得ることに繋がっていった。生徒の姿をつぶさに捉えることで,材の本質的な魅力に気付けた瞬間であった。 教材188bet体育_188bet备用网址とは,単元が始まる前までに終えるものではなく,常に子どもの内実に向き合う中で繰り返していくものであるということの実感が,教師の中に残っている。 【事例③】子どもの「思いや願い,問い」から始まる学びを支えようとする教師の構え 題材名:「廃材でRecycle!笑顔がつながる持続可能な社会づくり」(1年 総合) 実生活や実社会にある「もの?ひと?こと」と具体的に関わり,その中で生まれる生徒の「思いや願い,問い」から,学級ごとにテーマや活動を立ち上げ,探究を重ねていく本校の学級総合。1年時におけるその立ち上げの際には,教師は難しさやジレンマと直面する。それは,「生徒の『思いや願い,問い』から立ち上げ,生徒と共に学びをつくりあげていく」ということの捉えの難しさやジレンマである。 教師は学級総合の立ち上げの際,「生徒がやりたいと思っていることをとことんできる時間が学級総合であると思っていた」と語っている。実際にその学級では生徒のやりたいことから,9つのグループが生まれ,活動が始まっていった。生徒はそれぞれの活動にのめり込んでいくが,その一方で教師は「これが総合的な学習の時間なのか」という違和感に立ち止まる。「それぞれが自分のやりたいことをやりたいようにやっていくだけの3年間でいいのか」と。 その違和感を生徒に語った時のことを,教師は「思い切って問うた」と振り返っている。教師が感じている違和感を生徒にぶつけることためらったり,臆病になったりするのは,どこまでも生徒の「思いや願い,問い」を大切に,学びを進めたいという思いがあるからこそである。 教師が生徒に自分の違和感を伝えた際,その違和感に共感する生徒の姿があり,その共感は,クラス全体に広がっていく。その中で教師は「生徒の根底には,『ただやりたいことをしたい』ではなく,自ら学びを求めて授業に参画したいという思いが内在している」ということ強く感じている。それは,「全ての子どもの中には,新しいことや知らないことに向かっていく中で,自分たちの力を伸ばしていきたいという思いがあり,それができる力がある。」という見方で,教師が生徒たちを見始めた瞬間だったのかもしれない。 「生徒の『思いや願い,問い』から立ち上がる学び」とは,「子どもがやりたいと言ってるからとことんやらせる。やりたいと言ってないからやらせません。」ということではない。まずは「子どもは誰もが有能な学び手である」という前提から出発し,子どもと教師が同じ方向を並び見ながら,体験や対話などを繰り返し,学びを構成していくことなのである。

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