(4)中学校~学びの先にある新たな自分を予感し,確かなものにしていく【教科等の総合化】~ った。このように,小学校2年生では,植物を育てるときに,対象を自分と重ね合わせ,対象を「人」や「仲間」として接することで,気持ちを考えたり,解決の方法を考えたりしながら様々なアプローチで探究を進めていく姿が見られた。 また,小学校1年生の「はなのみち」,2年生の「お手紙」では,言葉だけではなく挿絵の対比からも,物語の展開を読み取っていた。2年生の「スーホの白い馬」の学習でも,最初と最後の場面における挿絵の比較から「美しい音ってどんな音だろう」という問いが生まれ,探究が始まった。M児は,溢れ出る自分の考えや思いを矢印で繋ぎ(マッピング)ながら,新たな問いを生み出し,そして答えていくというやり方で「美しい音」について考えていった。M児は,まるで自分が村人の一人になったかのように最後の場面におけるスーホの奏でる馬頭琴の音色の美しさについて語った。ただ自分の思いを語るのではなく,自分がマッピングしたノートを見せながら,「ここにこう書いてあるでしょ」と言いながら自分の考えを説明した。その中でM児は,白馬に出会う前のスーホは「ただの音楽名人」と書いていた。そして,馬頭琴になった白馬を「曲上手」と書き,その二つを結びつけ,「美しい音」を「スーホと白馬が二人揃って出せる音」と結論づけた。白馬に出会う前のスーホと,出会った後のスーホの変容を「ますます」という言葉を手がかりに,対比させて考えたのである。 これらは,「自分の探究課題」解決に向けて,その子らしい対象とのかかわり方で探究している姿と言えるだろう。 (3)領域と教科の接続のタイミング ~教科における子どもの対象との関わり~ 【事例①】単元名:「植物の育て方」 【3年 かがく領域】 【事例②】単元名:「ちいちゃんのかげおくり」 【小3 ことば領域】 小学校3年生の「かがく領域」では,パンジーやビオラ,コスモスを育てた。子どもたちは,2年生同様「大きく育ってほしい」という願いを持って,植物と関わっていった。発芽したけれど,なかなか育たずに枯れてしまった植物を見て,「せまいところに種を植えると,栄養が足りなくなってしまう」「日光が足りなかったのではないか」「気温が低すぎたのではないか」と,原因を考察して,探究を進めていった。このように,小学校3年生では,植物を育てるときに,対象の周囲の環境(栄養の多寡や日光の有無,気温など)に着目して,生育条件を制御しながら探究を進めていく姿が見られた。 小学校3学年の「ことば領域」では,「ちいちゃんのかげおくり」を題材にことばの授業を行なった。初発の感想では,「とても悲しいお話だ」と感じた子どもたちだったが,「でも,2回目のかげおくりの時,ちいちゃんはすごく幸せそうだよ」と,違和感を持っていた。そして,この違和感の原因を解き明かすための探究がはじまった。これまで,挿絵や動作化,ペープサート等を手掛かりに,登場人物になりきり,お話の世界を楽しんできた子どもたちだったが,ここで初めて,登場人物になりきるのではなく,読者目線で物語を読むことを体験し,違和感の原因について,「悲しいのは,読んでいる自分なんだ。ちいちゃんが喜んでいるから,余計に悲しいんだ」と,納得していった。 これらは,もっと詳しく知りたいと願い,素朴な概念が上位の概念へ移行した際に感じられる探究する楽しさを味わい,探究がよりその教科ならではの見方?考え方に焦点化され,自ずとその教科の学習内容が把握されたり習熟されたりしている姿と言える。さらに「自分の探究課題」が生じることによって,対象との新たなかかわりが生まれ,探究する姿であると言えるだろう。 以上のことから,2年生と比較をしたとき,対象との関わりに大きな変化がみられる3年生においては,領域から教科への接続のタイミングを捉え,かがく領域?ことば領域という位置づけではなく,教科として位置づけることが妥当であると言えるだろう。 - 6 -
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