1999年信州大学医学部卒業、東京女子医科大学病院循環器内科学に入局。188bet体育_188bet备用网址テーマは、血管再生医学。2003年12月に若手医師のネットワーク「ネット医局」を設立し、代表に就任。2004年12月に株式会社メディカル?オブリージュ(現メドピア株式会社)を設立。いわみようインタビュアー信州大学広報スタッフ会議広報アドバイザー朝日新聞社ビジネスソリューション部川﨑 紀夫氏でしたが、その頃は医師で起業する人なんてほとんどいませんでした。IT企業はなおさらです。株式会社を通して社会の課題を解決したいという思いを明確に持ったのは、起業して2年目の2006年くらいです。医師のコミュニティとしての「MedPeer」を立ち上げるタイミングで、世の中にヘルスケアの領域で良い影響を与えたい、という覚悟を決めました。医師をサポートすることで患者を救いたい川﨑:医師から医師兼経営者になるというのもかなり大きな決断ですよね。その時の心情を教えてください。石見:最終的に、週に1回臨床医をしながら会社経営をする形に振り切ったのですが、それは、“医師のコミュニティ”というものに確信があったからです。医師というのは、専門も地域も年齢もばらばらなので、それがインターネット上でつな13志を持っていきいきと活躍する信大同窓生を描くシリーズ第6弾、今回紹介するのは、信州大学医学部卒業生で、医師兼IT企業経営者という異色の肩書を持つ石見 陽さんです。石見さんは医師として勤務する傍ら2004年に起業。“医療業界の課題を解決したい”という熱い想いで、後に医師専用コミュニティサイト「MedPeer(メドピア)」を開設しました。同サイトは今や日本の医師の約半数が登録し、様々な知見や情報を共有する国内最大級のプラットフォームとなっています。医師として、そしてIT企業の経営者として石見さんが目指すところとは―。信州大学広報スタッフ会議広報アドバイザーで、朝日新聞社ビジネスソリューション部の川﨑紀夫さんにお話しを伺っていただきました。(信州大学広報室)時に同意書が必要なケースもすごく増えました。カテーテルは人の体に管を入れる技術、すごく怖い仕事ですので、こうした状況になったことで、不毛なものを感じてしまいました。 こうした中、このまま臨床医として一生を過ごす以外に、他の社会貢献の方法がないのだろうかと考えていました。 それで、立場を異にする色々な方の意見を聞きに行きました。その中のひとつが、「医系技官」でした。これは医師の資格を持って厚生労働省で働き、国の仕組みを変えていく職業ですが、規模は大きくても、時間がかかりますよね。僕はせっかちなので、それは自分の性に合わないだろうと思いました。それでとりあえずサイドビジネスをやってみようというくらいの思いで、起業しました。医師になって5年目の2004年医学部医学科卒業生石見 陽さん PROFILE臨床医以外に社会貢献できる方法はないだろうか川﨑 紀夫氏(以下敬称略):現在「Med Peer」は、日本の医師の約半数が登録する国内最大級のドクタープラットフォームになっているわけですが、ご卒業後、医師として多忙でありながら、サイドビジネス展開を始めた経緯について伺わせてください。石見 陽さん(以下敬称略):1999年に信州大学を卒業して、そのまま東京女子医科大学の循環器内科に入りました。当初はそこで同期の仲間と切磋琢磨しながら、カテーテルの名医になろうと思っていました。臨床医として一流を目指していたのですが、そこに一度目の“女子医大事件”が起こってしまいました。2001年のカルテの改ざん事件です。メディアですごく叩かれ、毎月のように社説で「医師を監視すべき」とも書かれました。改ざんはもちろん悪いことであり、隠ぺいする体質も良くないです。ただ、結果的にそういった事件の取り上げ方によって、国民からの信頼感が失われ、医療従事者と国民の間にすごく溝ができた感覚がありました。医療訴訟が増え、同国内最大級のドクタープラットフォームを立ち上げ、理想の医療を追い続ける医師兼IT企業経営者さんメドピア株式会社代表取締役社長 CEO石見 陽
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