(写真上)木曽駒ケ岳の飛来メス家族。ケージで保護されヒナを育てる(写真左)飛来メスと近藤さん。かなり近づいて観察できる(写真右)2024年4月に出版した書籍『ライチョウ、翔んだ。』(集英社インターナショナル)。復活作戦への長年の密着取材の結晶だ近藤 幸夫さん PROFILE1959年、岐阜市生まれ。信州大学農学部林学科卒業後、1986年、朝日新聞社に入社。富山支局で北アルプス?立山連峰を中心に山岳取材をスタート。1988年、大阪本社運動部に配属された後、南極や北極、ヒマラヤなどの海外取材を多数経験。2013年、東京本社から長野総局に異動、山岳専門記者として取材を続ける。2021年12月、朝日新聞社を早期退職し、長野市を拠点に山岳ジャーナリストとして活動している。日本山岳会、日本ヒマラヤ協会、信州大学学士山岳会に所属。中村浩志先生(左)を取材する近藤さんクトが軌道に乗り出した折、2021年に近藤さんに思ってもみなかったことが起こります。甲府総局への異動を言い渡されたのです。定年退職まで、残り2年9ヶ月のことでした。近藤さんは「一晩考えさせてください」と言って、翌日、35年間勤めた朝日新聞社を早期退職することを上司に伝えました。「ようやく取り組みが本格化してきたのに、ここで長野を離れたら何のために取材してきたか分からなくなるじゃないですか」大手新聞社での安定よりも、復活作戦への情熱を優先させたのです。そして昨年4月、復活作戦への長年の密着取材をまとめた書籍『ライチョウ、翔んだ。』(集英社インターナショナル)を出版。様々なメディアで話題となり、「開高健ノンフィクション賞」の最終候補作にも選ばれました。「ライチョウ復活作戦を広げていくためには、もっと世の中の多くの人に知ってもらうことが必要。自分が本に書いて記録として残さなければいけないと思った」と、近藤さんは書籍執筆に掛けた想いを語ります。近藤さんがライチョウ取材に取り組むきっかけとなったのは、朝日新聞長野総局に赴任してから2年後、2015年に長野県庁で開かれた記者会見でした。「北アルプスでニホンザルがライチョウを捕食していることが初めて確認されました。これが複数の群れに広まれば、絶滅の危機も考えられます。ひいては高山帯生態系への影響も懸念されます」中村さんがこのように話した時、「これは大変なことになるのではないか」と大きな危機感を持ち、メディアの一員として報じていく使命を感じたといいます。また、中村さんの人柄や生き方に魅せられたこともライチョウ取材にのめり込んでいった要因のひとつだそう。「中村先生って、とにかく調査に掛ける情熱が桁違いにすごいんですよ。ライチョウの調査や保護活動のため年間100日以上、高山帯で過ごし、何万回ものついばみを何日もずっとカウントし続ける。そんな人は他にいないですよ」と近藤さん。一方で、中村さんの方も近藤さんに一目置いていたようです。「中村先生は自分へも他人へも厳しい方ですので、他の記者は皆怒鳴られたことがありますが、私はほとんど怒鳴られたことがないんです。理由を聞くと『近藤さんは仕事に人生を掛けているから』と言われました」近藤さんの人並ならぬジャーナリストとしての熱量を感じ取っていたのかもしれません。近藤さんは朝日新聞社での記者時代に2度南極に取材に行きましたが、その際にピューリッツァー賞の受賞経験もあるジャッキー?バナジンスキーさんという米国人記者から言われた“ある言葉”が現在でも印象に残っているといいます。それは、「ジャーナリストの本来の仕事は、誰でも書けるニュース記事ではなく、自分が書かなければ歴史に埋もれてしまうような記事を書くことだ」というもの。復活作戦をはじめとしたライチョウ保護活動の密着取材についても、そのような意識で取り組んできたそうです。『ライチョウ、翔んだ。』は、まさにその集大成と言えるものですが、近藤さんはライフワークとして、ひきつづきライチョウ復活作戦を追っていきたいと考えています。作戦の最終目標は、中央アルプスのライチョウが人の手で保護しなくても自立的に増えるようになること。現在、ライチョウは環境省が野生生物の絶滅危険性を評価した「レッドリスト」において、「絶滅危惧ⅠB類」(近い将来の野生での絶滅の危険性が高いもの)に指定されていますが、中央アルプスが新たな生息地になれば「絶滅危惧II類」(絶滅の危険が増大している種)へのダウンリストの可能性が高まり、絶滅の危険度が下がります。「必ずそれを見届けたいんです」そう話す近藤さんの目は力強く、楽しそうでした。転機となった記者会見絶滅の危機に衝撃を受けた自分が書かなければ歴史に埋もれてしまう12
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