南アルプスの魅力は、原始の息吹が感じられる常緑針葉樹の重厚な森林と、ここは地上の楽園かと思えるほどの,シナノキンバイなどが咲き乱れる「お花畑」の存在であった。近年、ニホンジカ (Cervus nippon)が高山帯にまで進出し、稀少な高山植物群落の採食利用が定着するようになり、豊かな山岳環境の象徴とされる「お花畑」の消失が危惧されている。
2000年からのわずか10年ほどの間に、
南アルプス北部において、ニホンジカの行動追跡調査を
2000年からのわずか10年ほどの間に、
「お花畑」の輝きは失われた
1984年に実施したアンケート調査からは、南アルプス北部においてはニホンジカの生息情報は皆無であった。ニホンジカによる、亜高山帯のシラベ?アオモリトドマツなどの常緑針葉樹林やダケカンバ林や草本群落の利用は、1990年代から静かに始まった。2000年代に入り、ニホンジカによる亜高山帯の利用?定着はさらに進行して、わずか10年ほどの間に、「お花畑」の輝きは失われることになった。もともと急傾斜地が多い高山の環境は、ニホンジカにとって棲みにくい環境であると考えられていた。だが崩落地などの急傾斜地に生息するニホンジカは蹄が磨り減り、まるで断崖に立つカモシカのような蹄をしていた。なぜ、生息条件が過酷と思われる高山にまでニホンジカがやってきたのだろうか。夏期間に高山にまで出現するニホンジカは、いったいどこから、どうやって来るのであろうか。なぜ、ニホンジカは高山にまで来るのだろうか。 | 1980年の北岳草すべり、シナノキンバイのお花畑 |
2006年の仙丈ヶ岳、花がなくなった林床 | 磨り減った蹄 |
南アルプス北部において、ニホンジカの行動追跡調査を
GPS型発信器を用いて調査
標高1,800m以下の越冬地から、夏期の行動圏への春期の移動は、6月に認められた。この移動は、長期間にわたり、標高差、移動距離ともきわめて長大な移動であった。春期の移動は、植物の生長が始まり芽吹きが低標高地から高標高地に向けての、展葉前線の上昇にあわせて亜高山帯上部から高山帯へ移動してゆくことが確認された。6月上旬から10月上旬までの夏期間に、ニホンジカは亜高山帯上部から高山帯にいたるお花畑などの高山の環境を利用した。夏期間、仙丈ヶ岳周辺での追跡個体の定位位置と植生から、ニホンジカによる稀少な高山植物群落の過度な採食が認められる箇所は、亜高山帯上部のダケカンバ林や高茎草原(高山植物群落)の草本類であった。夏期の利用環境である、主稜線に到達した後は,大きな移動は認められなかった。周辺での高山環境の利用は9月まで続いた。個体の定位位置はダケカンバ林,高茎草原に集中している。夏期間、ニホンジカはお花畑を食べ続けるのだ。 | GPS発信器を装着したニホンジカ |
ニホンジカの移動 | 小仙丈カールのシカ道 |
過酷な採食圧
仙丈ヶ岳に設置された防護柵は、冬期間に破損した箇所が6月上旬に修復される。修理前すでにニホンジカは周囲に到達しており、防護柵の内外を利用している。しかし、修理後は柵内の利用ができなくなる。わずか2週間後の柵の内外を写真を比較すると、防護柵の内側はすでに開花が始まっているが、柵外には全く見られない。このことは、防護柵の効果がいかに大きいかを示している。そして、ニホンジカによる採食圧力がいかに過酷であるかを示している。 夏期の行動圏への移動は、より採食条件が良好な地域への移動の結果引き起こされると考えられる。ニホンジカの分布の拡大は、生息密度が高く採食条件が悪化した地域から、生息密度が低く採食圧が軽微である地域への移動の結果である。メスは出産?育児のために、オスはより体格が大きくなるために、採食条件が良好な場所を絶えず求めて移動を繰り返した結果、亜高山帯上部への進出が生じたと考えられた。ニホンジカが高密度で生息するようになった南アルプス山麓から、高山へ向かうように分布拡大の圧力が生じたものと考えられる。 | 柵の内外 |
北アルプスの高山帯に向かうニホンジカ
今、ニホンジカは北アルプスに向かっている。先には白馬岳などの豊かな多様性に富んだ花々が存在する。ニホンジカは石器時代以降、絶滅の危機をくぐり抜け、生き抜いてきた。たえずヒトの傍で、攪乱のなかで生き抜いてきた逞しい生き物である。これからも、私たちはこのしたたかな隣人と生きてゆかなくてはならないのである。私たちは、これまでの南アルプスでの経験を、これから先くり返さないように、生かしてゆかなくてはならない。南アルプスでのできごとを,北アルプスなどで繰り返さないようにするためには何をしなくてはならないのか、真摯に向きあう必要があるのだ。 | 北アルプスに向かうニホンジカ |