書物で繙く登山の歴史1 -ヨーロッパ近代登山と日本- (2)
はじめに 1.ヨーロッパ近代登山の確立と展開 2.日本を訪れた登山家たち
2.日本を訪れた登山家たち
19世紀後半、極東の未知の国「日本」へと多くの西洋人(特にイギリス人)が訪れ、高山を次々と踏破していきます。
ラザフォード?オルコック(イギリス駐日公使)は1860年に富士山に、ウィリアム?ガウランド(治金技師、大阪造幣寮技師)は1873年から1877年の間に御嶽山、立山、槍ヶ岳に、アーネスト?サトウ(イギリス公使館通訳?駐日公使)は1878年から1881年の間に針の木峠、間ノ岳に登頂し、さらに?日本アルプスの父?ウォルター?ウェストンによって穂高など多くの山々が踏破されていきました。
日本の山々は、彼らの著書や山岳会、学会などでの講演を通して、西洋に広く知られていくことになります。
Unbeaten Tracks in Japan
by Isabella L. Bird 1885年 《小谷コレクション》
1878年の6月から9月にかけて、東京から日光、新潟を経て北海道までの旅を記録した旅行記。特にアイヌの生活や風俗についての記録は、明治初期のアイヌ文化の状況を知る上で貴重である。著者はイギリスの旅行家、紀行作家、写真家であったイザベラ?バード。離日後、数度に渡って朝鮮を訪れ、『Korea and Her Neighbours』を著している。
An English-Japanese dictionary of the spoken language. 3rd ed.
revised and enlarged by E.M. Hobart-Hampden and Harold G. Parlett 1904年 《繊維学部図書館》
アーネスト?サトウによる英和口語辞典。初版は1876年、2版は1879年に出版された。
写真は、E.M.ホバートとハロルド?G.パリエットによる増補版。日本語を学ぶ外国人のために、14266語(2版)の英単語をあげ、訳語とすべき日本語を記す。適当な訳語がない場合には、用例を用いて理解できるように配慮されている。
A handbook for travellers in central & northern Japan
by Ernest Mason Satow and A.G.S. Hawes 1881年 《中央図書館》
アーネスト?サトウとA.G.S. ハウスによる初の日本旅行案内書。東京を起点に西は神戸、北は東北まで日本隔地への旅程や宿、名所などについて54のルートを紹介している。
当初横浜のケリー社から出版されたこのハンドブックは高い評価を受け、2版以降は、旅行案内書の大手、イギリスのマレー社から出版され、日本を訪問する欧米人に重宝された。
Ernest Mason Satow(アーネスト?メイソン?サトウ 1843-1900)
[写真]出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イギリス出身。1862年、イギリス駐日公使館の通訳生として着任し、書記官、駐日公使を歴任、薩摩藩や長州藩、幕府や新政府との交渉に尽力した。また、政務に関わる一方で、日本の歴史や文化、思想等に関心を持ち、『A handbook for travellers in central & northern Japan』など、多くの著書を執筆して、ヨーロッパにおける日本学の基礎を築いた。
Mountaineering and exploration in the Japanese Alps
by Walter Weston 1896年 《小谷コレクション》
ウォルター?ウエストンによる浅間山?富士山?北アルプスの紀行文を収めた、日本近代登山史における歴史的書物。前穂高岳登山の際の上條嘉門次との出会いの一節は、あまりにも有名。日本近代登山の先駆者たちも、この書を読んで、近代登山に目覚めたという。
本書には、アーネスト?サトウ(イギリス駐日公使)に対するウエストン直筆の献辞がしたためられている。
Walter Weston(ウォルター?ウエストン 1861-1940)(レリーフ)
イギリス出身。宣教師、地理学者。チェンバレン著『Things Japanese』(1890)に影響を受け、1888年以降3度来日し、数々の山に登った他、日本山岳会の設立にも尽力した。
写真は、日本に近代登山、「楽しみとしての登山」を浸透させた功績を讃え、1937年に上高地梓川のほとりに掲げられた、ウェストンのレリーフ。
"Sir Ernest Mason Satow"(下線部分)