専攻医ライフ ?信州大学での成長と挑戦?

山口 浩平

山口

整形外科医として働きたい

当方は整形外科入局5年目、整形外科専門医としては1年目の学年となります。
整形外科に興味を抱いてくださっている皆さんに、整形外科に入局した場合どのような日々を送っていくのかという参考になればと思います。
整形外科1年目は大学での研修となります。整形外科は4つの班に分かれており、脊椎、上肢、下肢、腫瘍とそれぞれの班を3ヵ月ずつ研修します。
大学では各班でのカンファレンスや、科全体でのカンファレンスを通じてまずは整形外科疾患について検討し、学ぶことから始まります。
1年目研修医は、手術症例についてカンファレンスに備えてスライドにまとめることが主な役割となります。整形外科の手術は失った機能を再建し生活の質を向上するために行うものが多いです。あくまで治療の選択肢の一つとして手術加療があり、その適応について学ぶ必要があります。
後期研修医になり整形外科を名乗り始めたところで知識が足りていない時期というのは、私を含め誰もが同じで不安なものです。
県外の大学では入局人数の関係から関連病院での研修から始まるところもありますが、信州大学では各専門の諸先輩のいる指導体制の整った環境で、どのような治療選択があるのかを学ぶことができます。
長野には医科大学が1つしかないため整形外科最後の砦として大学病院が存在していると感じました。その後の研修で県内の各地域にでて働く私たちにとっても大学病院は、常に頼れる存在です。長野県を担う諸先輩の下で学ぶ研修は、皆さんにとって十分な自信をつけられる1年になると思います。

2年目からは信州大学の関連病院での研修が始まります。私は長野市民病院で主治医として、また執刀医としての経験を開始しました。主な執刀は外傷の手術となります。整形外科の手術の奥深さというのは、身体の様々な部位を、様々なコンセプトを持つ道具を利用して治すところにあると思います。皆さんが研修や、レントゲンを通してみたことがある螺子(ねじ)や、プレートも深い考えの下設計されています。
骨折治療の188bet体育_188bet备用网址機関:AO (Arbeitsgemeinschaft für Osteosynthesefragen)が提唱する螺子やプレートの利用理論や、手術関連雑誌に乗っている新しい器具や、治療法を参考に手術をどう行いたいか事前に自分で計画し、それを実際に実行していくことができます。医療から離れて言うなら、「我々整形外科医は、大工さんでありながら建築士でもある」と思っています。

また、手術直後から手術の良し悪しがある程度レントゲンで確認できるというのも整形外科ならではだと思います。自分が練った計画通りの手術ができたと、術直後に画像で確認ができた時、達成感を感じることができます。医学生や、研修医の皆さんに例えるなら「対策をした試験の自己採点がすぐにできます」。日々の診療の中で多くの達成感を自覚できるのも整形外科の魅力だと思います。

最後に仕事以外の面について話させていただくと、整形外科に入局後に硬式テニスを始めました。整形外科では多くの運動を楽しんでいる患者さんと接します。その中で老齢の患者さんではゴルフやテニスを楽しんでいる方が多く、生涯スポーツとしてテニスをやってみようと思いました。家族や、友人、後輩たちを誘って仕事の合間ではありますが週1回程度楽しみながら続けています。テニスは2人いればできるので、仲間が増えればとテニス部でもない自分ですが未経験者を練習に誘って布教したりしています。
また、幼少のころから習っていた競泳を社会人となった今も続けており、毎年2、3回は大会にもでています。4年目の年には専門医試験の傍ら、全日本マスターズにも出場し2位入賞と、好きなことを続けながら整形外科医として勤務しています。
私を含め整形外科の先生たちは色んな競技を続けている人が多く、医局内でもサッカーや、野球、バスケ部があり他大学との交流戦などスポーツを楽しんでいます。
仕事のために何かを諦める必要はなく、皆さんのやりたいことの一つに「整形外科医として働くこと」が増えることを期待しています。


小松 幸子

小松

信州大学整形外科で家庭と仕事を両立しませんか?

2016年度信州大学整形外科入局の小松幸子です。
私が初期研修医時代に整形外科に決めたのは、たくさん手術の種類があって奥が深いことと、手術やリハビリを通して高齢者の生活再建に関われることが楽しいと感じたからです。当時は他科を志望していたのですが、研修医の同期に、整形外科をローテートしていた私がすごく楽しそう、と言われたこともきっかけでした。
私は他大学出身で関連病院ではない病院で初期研修を行い、知り合いゼロの状態で信大整形外科に飛び込みました。文字通り右も左もわからず院内で迷子にもなりましたが、そんな私でもすぐに溶け込めたくらいアットホームな医局です。私の同期は全員他大学出身でしたが、大学での研修ですぐに仲良くなり、いまでも同期会を時々開催しています。

1年の大学病院での研修後、3つの市中病院で整形外科の基礎を学び、手術をたくさんやらせていただきました。女性だとパワー不足が心配な方もいるかもしれませんが、たいていは工夫でどうにかなります。そして、どうしても力が足りないときは周りの先生が必ず協力してくれました。
そして7年目で大学腫瘍班に入りました。腫瘍班は骨や筋肉のがん(骨軟部腫瘍)の治療を行う班で、手術はもちろん、化学療法や放射線治療も行います。四肢、体幹のあらゆる場所が対象となり、症例ごとに異なる治療計画を考えて実行していく面白さがあります。また希少疾患で県内の患者さんが信大病院に集約されるので、一人ひとりとじっくり向き合えることも魅力だと思っています。腫瘍班指導医のご指導のもと、班に入った初年から多くの症例の執刀をさせていただきました。

10年目に出産し、現在は育休中です。妊娠中は当直を免除してもらったり外来や手術の調整など、腫瘍班の先生?医局のみなさんに協力してもらいながら無事に乗り切れました。女性医師が少ないからこそマニュアル化されたものではなく、都度相談しながら対応できるところが当科のいいところだと思います(信大整形外科の女性医師は全国平均よりも多いです)。私の場合は産後パート勤務から徐々に復帰予定ですが、もちろんフルタイムでの復帰にも相談に乗ってくれるはずです。

また県内の整形外科女性医師で年に1回集まってランチ会を開催しています(その名も美魔女会!)。子連れOKのアットホームな会ですので、整形外科を検討中の女性の先生も大歓迎です。ぜひあなたも美魔女の仲間に加わりませんか?お待ちしております。


小岩 海

小岩

二刀流の道のり

2018年度入局、整形外科7年目の小岩海といいます。現在丸の内病院で関連病院研修を行なっています。私の研修生活については、こんな形で研修を送ってきた変な医者もいるのだなという気持ちで読んでいただければと思います。
私は小学生の頃からフリースタイルスキー?モーグルとハンドボールを続けてきました。その中で怪我も多かったため整形外科との関わりも多く、あるスポーツドクターの言葉をきっかけに、高校3年の夏に医師の道を目指すと同時に整形外科医としての道を目指すことに決めました。大学ではオリンピックを目指しモーグルに打ち込みましたが、膝前十字靭帯断裂も経験し目標には届かず、医師として働きながら再度オリンピックを目指して活動することを決めました。ここから私の医師としての道とアスリートとしての道の二刀流の生活がスタートしました。
研修医1年目は信州大学医学部附属病院、2年目は丸の内病院で研修を送りました。研修医2年目で迎えた平昌オリンピックシーズンでも十分な結果を出すことができず、さらに次の北京オリンピックを目指して、整形外科医として働きながらアスリートとしても活動していくこととしました。
ここから先は、①整形外科医としての道のり、②アスリートとしての道のり、を並行してお話しし、③初期研修医の時に感じた整形外科に対しての正直な話、④信州大学整形外科の勧め、の4つについて触れていきたいと思います。

整形外科医としての、アスリートとしての道のり

整形外科1年目:信州大学整形外科
  1. 信州大学整形外科は4つの疾患班(上肢、下肢、脊椎、腫瘍)に分かれており、各疾患班を3ヶ月毎回ることで網羅的に研修を積むことができます。また、この年に外傷チームが立ち上がり、外傷診療に対しても充実した研修を積むことができました。ここで整形外科医としての基礎知識をしっかり築き上げることができました。
  2. 夏場はオーストラリアに3週間ほど遠征、冬のシーズンインではカナダに3週間ほど遠征、シーズン中はアメリカ?カナダでのシリーズ戦への参戦や国内戦の転戦、シーズン終盤の全日本選手権などで戦いました。
整形外科2,3年目:相澤病院
  1. 外傷診療を中心に、年間200件以上の手術執刀を経験しました。加えて、人工関節や膝周囲骨切り術、膝靱帯再建術などの手術も経験しました。ここで整形外科としての実際の診療や外傷診療に関するイロハを学びました。また、スポーツ疾患科ではスポーツ診療のノウハウを学びました。学術活動も並行して行い、学会発表や論文執筆も行いました。
  2. 1年目同様、各シーズンでの海外遠征や国内遠征を積み重ねていきました。また、医療者としてスポーツ診療を学ぶ傍らで、メディカルスタッフの協力も得ながら選手として自身でコンディショニングやトレーニング法なども学んでいきました。遠征先では、選手として活動しながらチームメイトのメディカルサポートにも介入していきました。しかし2年目シーズンでの合宿中の転倒で肘関節脱臼をしシーズンアウト、相澤病院で手術を受けることとなりました。
整形外科4年目:まつもと医療センター
  1. これまで学んできた外傷診療の知識を整理しながら経験を重ね、上級医ともディスカッションを交わしながら発展させていくことができました。また、骨軟部腫瘍領域の研修も積んでいくことができました。また、この年に整形外科専門医試験を受験し合格、専門医の資格を取得しました。
  2. 肘関節脱臼手術からの復帰シーズンとなりました。コロナの影響で海外遠征を諦めざるをえず、国内での合宿と遠征を中心に活動を行いました。この年の全日本選手権を最後に選手活動に終止符を打つこととしました。
整形外科5年目:長野松代総合病院
  1. Cold surgeryをメインに学び、外傷診療については自分の診療の確立を行う1年となりました。人工関節置換術、膝周囲骨切り術、膝靱帯再建術、半月板縫合術などの経験を積み、下肢cold surgeryについてのノウハウを学ぶ1年となりました。
  2. 選手を引退した後、ジュニア育成チームのコーチ兼メディカルスタッフとして、合宿での技術指導やメディカルチェック、怪我予防や怪我後の復帰に向けたケア?トレーニング指導なども行っていきました。
整形外科6年目:安曇野赤十字病院
  1. 脊椎cold surgeryがメインの病院であり、これまで自分が学んできたものと違う領域を学ぶ1年となりました。違う領域でも診療や手術の経験を積みながら、資格取得や学術活動も行い、外傷診療に関しては後輩指導にも力を入れていく立場となりました。
  2. 日本スポーツ協会認定スポーツドクターの資格も取得し、ジュニア選手育成だけでなく、トップチーム選手のメディカルサポートにも介入するようになりました。
整形外科7年目:丸の内病院

現在丸の内病院で自分の専門領域である下肢関節、スポーツ整形分野にどっぷり浸かり、専門研修を行なっています。

初期研修医の時に感じた整形外科への正直な気持ち

私は研修医1年目の際に、最初の3ヶ月で自分がもっとも興味のある整形外科を選択しました。多くを学び充実した研修を送っていましたが、自分の中で一つ懸念材料がありました。それは、日々数多くの手術に入って研修していく中で、本当に自分はこの科の手術が好きになれるのだろうかということでした。どれだけ整形外科に興味があったとしても、国家試験レベルの知識しかない研修医の自分には、専門性のかなり高い整形外科の手術では理解が追いつかない部分が多く、正直なところ全ての手術が楽しいと思えず、もしかしたら自分には向いていないのかもしれないと考えることもありました。また、他科の研修を送ると、どの科の研修も充実しており楽しく、整形外科だけが全てではないと考えることもありました。しかし自分の原点に立ち返った時に本当にやりたいことは何なのか、これまでの自分の経験から、患者さんの気持ちを最も身近に感じながら診療を行えるのは整形外科しかないと思い、2年目の研修でも整形外科も選択をし、整形外科医の道を選択することとしました。研修医2年目での整形外科選択時には、また違った視点で研修生活を送ることができ、整形外科医となってからは、一度も自分の選択に後悔することなく、日々楽しく診療を行う毎日を送ることができています。

信州大学整形外科の勧め

信州大学整形外科の一番の魅力は、医局員の声を真摯に受け止め、最大限のバックアップをしてくれる体制が整っているということだと思っています。ここまで書いてきたように、私の研修生活は少し異色の道であると思います。しかし、どの局面においても、加藤名誉教授や現在の髙橋教授ともに、“今しかできない道がある、先生にしかできない道がある。やれるだけとことんやりなさい”という言葉をいただき、大学や関連病院研修でも最大限のバックアップ体制をとっていただくことができました。そんなバックアップ体制が整っている医局だからこそ、自分が本当にやりたいことに本気で向かっていくことができた、またこれからも本気で向かっていくことができると感じています。
これから専門研修を選択していく立場にある研修医の先生や医学生のみなさんも、ぜひ信州大学整形外科に見学に来てその魅力を感じていただき、そして一緒に働ける日が来ることを心待ちにしています。


前角 悠介

前角

夢を与えてくれる、そしてチャンスがある

2018年度信州大学整形外科に入局した前角悠介(まえずみゆうすけ)です。
現在私は、下肢班+外傷チームに所属し人工股関節や人工膝関節、膝周囲骨切り術や関節鏡下手術、また高エネルギー外傷による多発外傷や開放骨折、骨盤外傷に携わっている人間です。
今回この場をお借りして、なぜ私が信州大学整形外科へ入局し、このような仕事をしているのか知っていただくことで、少しでも整形外科へ興味がある後輩たちの後押しになれたらと思っています。そして是非一緒に働ける未来があればうれしく思います。
私が信州大学整形外科を選択した理由は、「カッコイイ」先生たちが多いところにあります。脊椎?上肢?腫瘍?下肢?外傷、すべての先生方に尊敬すべき姿があり、人格に優れています。患者さんが困っているときには寄り添い、患者さんができないことができるようになったときには一緒に喜ぶ、そんな姿を初期研修中にみて、自分もこんな医師になりたいと思って入局したことを覚えています。これは今でも感じており、先輩たちは常に私のあこがれであり、これを目指すことが自分のモチベーションにつながっています。
また信州大学整形外科は、入局した我々に自分のやりたいことを後押しし、チャンスを与えてくれます。自分は高エネルギー外傷に興味があったのですが、やはり整形外科だけをしていても手に入らない救急や外科、放射線科、リハビリテーション、麻酔科の先生方の知識や経験があります。そんな私に高度救命救急センターへの国内留学の機会を与えてくれました。一緒に働いた先生方との考え方や数多くの経験によって、自分の世界を広げられたと思っています。今では少しでもこの経験を生かして、もう一つのやりたいことである下肢診療にも携わっています。
信州大学整形外科には、夢を与えてくれる先輩がいて、自分のやりたいことへのチャンスがあります。是非一度見学に来てみてください。そして一緒に働けるのを楽しみにしています。


福澤 拓馬

福澤

深く狭く、まっすぐ堀り進むだけの道もアリじゃない?

皆さまこんにちは。「信州大学のヘミングウェーイww」こと福澤拓馬と申します。2013年に大学を卒業し医師となり、現在は医師12年目、整形外科医として10年目の年となります。現在は脊椎班=背骨関連の疾患を治すチームで脊椎脊髄病医として勤務しています。

東京都出身、信州大学医学部を卒業後、飯田市立病院(長野県飯田市)で初期研修を2年間行い、2015年に信州大学整形外科に入局しました。
私の初期研修医生活は、4月から半年間、ずっと内科で研修するというローテーションでスタートしました。何の科に進むかは全くのノープランだった中、社会人としての自覚、医師としての基礎中の基礎を同時期に学べたのと同時に、自分はなんとなく実際に手を動かして「患者さんの体を自分の手で治す」実感を得られる科が向いているな、血液検査の結果とにらめっこは向いていない、そうすると手術できる科=外科系に進むことになるかな?と漠然と感じ始めた時期だったと思います。(内科研修中にカンファレンスでのプレゼンが上手くできず、あまり絡んだこともない先生から怒鳴られイラっとした、というネガティブな思い出もその判断に影響しました)。
外科系の多くの科の中から整形外科を選んだ理由としては、手術が楽しそうだったから、というのが一番の理由です。バッキバキに折れていた骨が術後にまっすぐになり金属で固定されているレントゲンを見るだけで、治療効果が誰の目にも分かりやすいこと、若手のうちから執刀させてもらえるチャンスが多くもらえたことも、楽しさを感じた理由です。どこの整形外科に入局しよう?ということは、特に何も考えていませんでした。信州大学整形外科の先生は、手術中も仕事外でお酒を飲むときも、楽しく学生時代の先輩のように気楽にお話しできる先輩が多く、仕事、というよりも部活動の延長のような雰囲気の人間関係が、自分には合っているなあと感じ、入局を決めました。入局後も、先輩や後輩、同期が、みんな友達(先輩方すみません)のような感覚でおしゃべりができる医局の空気が好きで、ついつい病院で整形外科の先生方としゃべりこんでしまい帰宅が遅くなることもしばしばあります。

入局した2015年は大学病院で脊椎、上肢、下肢、腫瘍の各疾患班の診断~治療までを勉強しました。この年は、整形外科として「自分で見た患者様の情報を、上級医の先生にどのようにプレゼンするのか?」を主に学んだ年だったように思います。2016年からは関連病院=外病院での整形外科医としての勤務が始まりました。毎日やってくる新たな骨折患者様の治療に明け暮れる日々、初期研修医時代に自分が想像していた整形外科としての生活とほぼ重なる日常となりました。「で、いつになったら脊椎の話が出てくるのよ?」とやきもきしていた皆様、大変お待たせいたしました。2021年からは博士号を取得するため大学院に入学、同時に整形外科の中でどの分野を専門とするかをこの時期=入局して6年目で決定することになりました。もちろんこのタイミングで選択しなくても良いのですが、自分は臨床業務に携わりながら大学院に通いたい、と医局の人事を決定する先生方に伝えていたため、このタイミングで専門班を決めることとしました。このような進路相談も教授、医局長をはじめ、先輩方がとても親身になって協議してくれるところも信州大学整形外科の良いところであり、自分も後輩から同様の相談を受けたら必ず真面目に答えよう、と心に決めています。まだ誰からも相談されたことはないですが。

自分が脊椎班を選択した理由を語るには、2010年ごろ、学生時代にまで話を戻さねばなりなりません。当時、自分はサッカー部に所属しており、グラウンドと学生寮を往復する毎日を送っておりました。小学校からやっていたサッカーでしたが残念ながら才能には恵まれず、週5-6回練習があるものの都大会本戦に出るのがやっと、というレベルの高校でプレーしていた影響で、大学のサッカー部に入り、全国から集まった上手な先輩方(当時は県選抜やら○○ユースやらすごい肩書きを持った先輩が何人もいた強豪チームでした)に混ざって試合に出ると、明らかに自分だけが下手なので相手チームから自分だけが狙い撃ちされたり、反省会で先輩方からボロクソに叱られる、といった時期が続きました。ある日、キャプテンの先輩から呼び出され、二人で面談することになりました。曰く「お前がボールを持つ時間が増えれば増えるほどウチの勝率が下がる。何故ならお前が試合に出ているメンバーの中で最も技術的に拙く下手くそだからだ。俺がお前を試合に出している理由は、空中戦の勝率がチーム内で一番高い、というただ一点のみである。従って今後はドリブル、パスの練習は禁止、基本的には走力を徹底的に鍛えつつ、ボールを使う場合は空中戦を含めた守備の練習だけをやるように。これは依頼ではなく命令であり、守備でチームに貢献できない場合、俺は2度とお前を使わない」ということでした。先輩の険しい表情は今でも忘れられません。試合に出られなくなるのは嫌だったので、走り負けないためのスタミナトレーニング、守備の練習、及びそれに必要な筋力トレーニングに費やす時間が大きく増え、パスやらドリブルの練習は本当に禁止になりました。「下手くそはボールに触るな」と、今思えば非常に辛辣な命令だったと思います。が、1点だけでいいから得意分野では誰にも負けないように、という思いで練習を続けた結果、上手な先輩達に混ざって試合に出ても、試合中に自分の役割を見失わず、自信を持ってプレーすることができるようになりました。(自信が持てないシーンには関与しなくなりました)
整形外科医になり、自分の専門分野を決める場面に直面したとき、上記の場面が薫陶として脳裏をよぎりました。すなわち「自分はあれもこれも、と色々な技術を習得しようと広範囲に手を広げるよりも、何か1点だけを突き詰める専門家を目指す方が良いのではないか」と思い至りました。整形外科という科がすでに専門科と呼ばれる骨と筋肉の専門家と思われがちですが、いざ自分が整形外科医になり、各疾患班で諸先輩方に教わりながら研修すると、肩、肘、手、指、股関節、膝、足、頚椎、胸椎、腰椎、腫瘍、骨盤、スポーツ???全身の様々な分野を包括的に網羅する大変広大な範囲の学問であることが分かりました。自分の能力やキャラクターから、恐らく上記領域の知識?技術を全て臨床の現場で自信を持って使えるレベルにまで昇華させることは難しいだろう、と感じました。また、整形外科医たるもの救急車が運ばれてきたときにカッコよく外傷患者さんを治したい!という憧れも持ち合わせていた自分に「外傷による脊損患者さんは、脊椎外科医が頑張らないと麻痺が残ってしまうんだよ」という脊椎チームの先輩の囁きも影響し「長時間手術、緊急手術に体力負けしない脊椎外科医」というのが自分に合う医師像ではないかと考え、脊椎領域の専門家を目指すことに決めました。その後、上記の考えを髙橋教授に伝えると、すぐに国内でも脊損手術で大変高名な北海道せき損センターへの国内留学のお話をまとめて下さり、全国トップクラスの脊損治療を間近で経験することができました。「○○をやってみたい、○○大学に留学したい」という希望があると、髙橋教授をはじめ首脳陣がその希望を全力で叶えて下さるところも信州大学整形外科の非常に大きな魅力であると感じています。

自分と同様に「狭く深く」を突き詰めるのが得意なアナタ。ぜひ信州大学整形外科で一緒に働きませんか?上肢、下肢、腫瘍、脊椎、4つの疾患班だけでなく、その奥にさらに深く続く専門分野の中の更なる専門家への道が、アナタが飛び込んでくるのを待っています。

「広く深く」自分の手が届くすべての患者様を治したい、と思っているそこのキミ。ぜひ信州大学整形外科で一緒に働きませんか?整形外科で治療対象になるのは全身の筋骨格系組織です。全身いたるところの「痛み」で困っている患者様を一緒にサポートしましょう。

どんなキャラクターでも、どんな特技を持っていても、逆にどんな不得意分野があったとしても、「自分らしく生き生きと笑顔で楽しく働ける」ところが信州大学整形外科の最大のストロングポイントだと思っています。まだ見ぬ後輩の皆様と、楽しく働ける日を心待ちにしています。

福澤