国内最大級のドクタープラットフォームを立ち上げ、理想の医療を追い続ける医師兼IT企業経営者信大的人物

国内最大級のドクタープラットフォームを立ち上げ、理想の医療を追い続ける医師兼IT企業経営者

志を持っていきいきと活躍する信大同窓生を描くシリーズ第6弾、今回紹介するのは、信州大学医学部卒業生で、医師兼IT企業経営者という異色の肩書を持つ石見陽さんです。石見さんは医師として勤務する傍ら2004年に起業。“医療業界の課題を解決したい”という熱い想いで、後に医師専用コミュニティサイト「MedPeer(メドピア)」を開設しました。同サイトは今や日本の医師の約半数が登録し、様々な知見や情報を共有する国内最大級のプラットフォームとなっています。医師として、そしてIT企業の経営者として石見さんが目指すところとは―。信州大学広報スタッフ会議広報アドバイザーで、朝日新聞社ビジネス?ソリューション部の川﨑紀夫さんにお話しを伺っていただきました。(信州大学広報室)

石見 陽さん PROFILE

1999年信州大学医学部卒業、東京女子医科大学病院循環器内科学に入局。188bet体育_188bet备用网址テーマは、血管再生医学。
2003年12月に若手医師のネットワーク「ネット医局」を設立し、代表に就任。
2004年12月に株式会社メディカル?オブリージュ(現メドピア株式会社)を設立。


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インタビュアー
信州大学広報スタッフ会議広報アドバイザー
朝日新聞社ビジネス?ソリューション部

川﨑 紀夫さん

1 信州大学学生時代

川﨑紀夫さん(以下敬称略):信州大学在学時の思い出を教えてください。

石見陽さん(以下敬称略):私は千葉県の高校から、信州大学には一浪して入学しました。現役学生の時には信州大学と関東の国立大学を受験しましたが、残念ながら届きませんでした。大学はいろいろある中で、どうして信州大学を選んだかを思い返すと、学力の問題に加え、千葉県出身ですので関東に近い地域の大学がいいかなという理由もありました。また、私は医学部出身ですが、実は文系だと思っていて、国語、英語、日本史といった文系科目は高得点をとれても、数学と理科といった理系科目で点数を落としていました。そのようなことから、当時の試験内容や受験方式から考えて、候補は信州大学の他、いくつかの国立大学に絞られました。その中でも、信州大学はイメージが良かったんです。言葉の響き的にも大学名に「長野」ではなく「信州」と旧国名を冠するところも良いですし、信州に対し、場所としての憧れがありました。あと、総合大学で、他学部とキャンパスを共にしているところも魅力でした。国内には医学部だけキャンパスが外れたところにある大学も多いのですが、それだと他学部の学生と交流できないですよね。信州大学は医学部の他に、人文学部と理学部、経済学部(現経法学部)が同じ松本キャンパスに入っていて、ある程度交流できるところが魅力的でしたね。もうひとつ別の理由から言うと、別候補の国立大学には、2歳上の兄が在籍していたので、ずっと“石見の弟”と言われつづけるなと思って、それも少し嫌でした(笑)。こうしたことも信州大学を選んだ理由のひとつですね。

川﨑:事前にかなり準備188bet体育_188bet备用网址されたうえで大学を選んだのですね。実際に松本に来てどうでしたか?

石見:とにかく寒かったです(笑)。はじめはキャンパス近くの浅間温泉に住んでいました。一人暮らしをイベントみたいなものだと思っていたので、不動産屋さんで、「下宿は嫌で、とにかく安くてボロでもいいから一人暮らしをしたい」と言って、一番安い部屋を選びました。たしか家賃が1万8千円くらいの、蚕部屋(その昔養蚕を行っていた部屋)の上の部屋に暮らしていたのですが、蚕部屋というのは、天然の冷蔵庫ですから、とにかく寒いんです。窓も木枠なので、すきま風がビュービュー吹きこんで、夏なんかカマキリが侵入(!)してきました。一方ですごく良かったのが、毎日温泉に入り放題だったところです。浅間温泉の辺りは、何世帯かが共同で温泉を所有していたのでそれが可能だったんです。ただ、温泉に入った後に歩いて帰るその間に髪が凍るんですよね。気づいたら髪がパリパリしていて(笑)、それが驚きでした。水道管が凍るのも、千葉では経験しないことなので、ショックでもあり、面白くもありましたね。

川﨑:キャンパスの環境はどうでしたか?

石見:生協前の広場とか、大学っぽい雰囲気が気に入っていましたね。当時は医学部のバドミントンサークルに入っていて、打ち上げの際、広場でロケット花火を飛ばしたりして(笑)、まあ大学生らしいですよね。

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2 臨床医以外に社会貢献できる方法はないだろうか

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川﨑:現在「MedPeer」は、日本の医師の約半数が登録する国内最大級のドクタープラットフォームになっているわけですが、ご卒業後、医師として多忙でありながら、サイドビジネス展開を始めた経緯について伺わせてください。

石見:1999年に信州大学を卒業して、そのまま東京女子医科大学の循環器内科に入りました。当時、東京女子医科大学の循環器内科は、優秀で意識の高い人が集まっており、当初はそこで同期の仲間と切磋琢磨しながら、カテーテルの名医になろうと思っていました。臨床医として一流を目指していたのですが、そこに一度目の“女子医大事件”が起こってしまいました。2001年のカルテの改ざん事件です。メディアですごく叩かれ、毎月のように社説で「医師を監視すべき」とも書かれました。改ざんはもちろん悪いことであり、隠ぺいする体質も良くないです。ただ、結果的にそういった事件の取り上げ方によって、国民からの信頼感が失われ、医療従事者と国民の間にすごく溝ができた感覚がありました。医療訴訟が増え、同時に同意書が必要なケースもすごく増えました。カテーテルは人の体に管を入れる技術、すごく怖い仕事ですので、こうした状況になったことで、不毛なものを感じてしまいました。こうした中、このまま臨床医として一生を過ごす以外に、他の社会貢献の方法がないのだろうかと考えていました。一度、臨床医の立場で直接的に患者さんを治すことについて計算してみました。1日に6人ほどにカテーテルを実施したとして、何十年か医師として働くと、大体15万人から20万人の方を治すことができるという試算になりました。それはそれですごいことなのですが、逆に言えばそこまでとも言えます。それで、立場を異にする色々な方の意見を聞きに行きました。その中のひとつが、「医系技官」でした。これは医師の資格を持って厚生労働省で働き、国の仕組みを変えていく職業ですが、これもひとつの大きな社会貢献ですよね。ただ、医系技官のように、仕組みごと変えて1億人規模に影響を及ぼすというやり方もありますが、国の取り組みというのは、規模は大きくても、時間がかかりますよね。僕はせっかちなので、それは自分の性に合わないだろうと思いました。それでとりあえずサイドビジネスをやってみようというくらいの思いで、起業しました。医師になって5年目の2004年でしたが、その頃は医師で起業する人なんてほとんどいませんでした。IT企業はなおさらです。当時、ソーシャルアントレプレナー=社会起業家が注目されていました。企業活動を通じて社会に貢献する“箱”として株式会社があるのだというのが、社会起業家の考え方です。僕の場合、株式会社を通して社会の課題を解決したいという思いを明確に持ったのは、起業して2年目の2006年くらいです。医師のコミュニティとしての「MedPeer」を立ち上げるタイミングで、世の中にヘルスケアの領域で良い影響を与えたい、という覚悟を決めました。

川﨑:サイドビジネスとはいえ、起業というのは大変なことだと思いますが、どういったところで苦戦されましたか?

石見:全部です(笑)。医師はマナー研修も受けたことがない人がほとんどですので、名刺交換の仕方も知らなければ、会社概要という企業に必須の資料の存在も知らないんです。最初は、医師の人材紹介ビジネスでスタートしたのですが、いきなり企画書を持っていって、会社紹介もなしに始めたら、相手に「会社概要は?」と聞かれて、「え、なんですかそれ?」という感じでした(笑)。本当に全部見よう見まねでしたね。でも一番はやっぱり人の問題だと思います。すべての起業家がそうだと思いますが、人集めと、集まった人をどう育てるかというところですよね。1+1が2ではなく3にするにはどうするか、ということが一番の課題だと思います。また先程申し上げた通り、当時、医師で起業する人はほとんどいなかったので珍しい一方で、覚悟を疑われることも多くありました。会社が潰れても翌日から開業医をしたら3,000万円くらい稼げてしまうので、「本気なのか」ということを何度も聞かれました。それは証明しようがないので「本気です」と言うしかないのですが、それを信じてもらうには、継続することと、結果を出すことしかないのだと思います。

3 医師をサポートすることで 患者を救いたい

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医師専用コミュニティサイト「MedPeer(メドピア)」

川﨑:医師から医師兼経営者となった時の心情を教えてください。

石見:人生の中で、何回か重要な決断のタイミングというのがあると思います。さきほど話した「信州大学を選ぶかどうか」も迷いました。そういう時は必ず、選択肢それぞれの良いところと悪いところを出して、1週間くらい考えて決めます。いわゆるプロコン(Pros & Cons:長所?短所の意)というやつですね。信州大学を選んだのは、当時の自分にとって、人生で1回目の重要な決断でした。医師から経営者になるというのもかなり大きな決断ですよね。最終的に、週に1回臨床医をしながら会社経営をする形に振り切ったのですが、それは、“医師のコミュニティ”というものに確信があったからです。医師というのは、専門も地域も年齢もばらばらなので、それがインターネット上でつながって、まじめなやりとりをする場所があれば絶対に喜ばれるはずだという確信がありました。そういうものがあったら、自分も利用したいですし、絶対に魅力があると思ったのです。あとは、個人的に本を読むのが好きなのですが、『ビジョナリーカンパニー』(ジム?コリンズ/ジェリー?ポラス 著)と、『論語と算盤』(渋沢 栄一 著)の2冊を読んで、いわゆる“お金儲け”に対する抵抗がなくなったという要因もありました。大体の日本人がなんとなく刷り込まれているのは、金儲けをするには人を騙さなくてはならないという感覚ですよね。逆に、良いことをしていたら金は儲からないものだという感覚もあります。その両方が間違っているということが、この本を読んでわかりました。僕はよく会社で「理念と利益の最大化」について話します。どちらかだけを追うのではなく、その両方を最大限に追及することが社会に一番大きなインパクトを与えるという考えです。本を読んで、「理念と利益を最大化するための箱として株式会社がある」ということが腹に落ちたんです。それによって、この取り組みはやる意義があるのではないかと思いました。医師であり起業家でもあるという人は日本にはほとんどいないので、いわゆる業界の“ファーストペンギン”だと思います。もちろん不安もありましたが、他の業界には本業に加えて起業する人も多くいたので、そういう形があってもいいと思えました。あとはそれを本当にビジネスにできるかどうかというところが懸念事項だったのですが、そんな時に株式会社ミクシィが上場したんです。ウェブ広告収益というモデルによって、上場まで持っていけることがわかり、起業するうえで心強く思えました。そしてもう1つ、サイドビジネスを始めた理由の1つに、「お金のために働きたくない」という思いもありました。自動でお金が入ってくる仕組みがあれば、お金のために働かなくて済むので(笑)。一旦はそのサイドビジネスで小さく成功はしたのですが、先輩にこれからどうしようかと相談した際、「中途半端は絶対にやめた方が良い」と言われました。「半端に、もうちょっと稼ぎたいという思いだけでやるのでは、迷惑が掛かるからやめておけ」…と。この先輩からのアドバイスもあって、この経営の経験とやるべきことを持ち、新しいチャレンジに賭けようと思いました。ただ、親に話したら、だいぶ心配されました。当時は「ベンチャーキャピタルって、ハゲタカですか?」というイメージを持つ人も多い時代でしたから、とにかく逮捕されるのだけはやめてくれと(笑)。

川﨑:お話を伺っていて、石見さんが意識されているのは、社会に対するインパクトや、「医師と社会」ということなのかなと思いました。たしかに医師というのは、「社会で育てる」感覚もあると思います。「MedPeer」は、それに近いのかなと思いました。

石見:そうですね。僕は、大学生の時に奨学金を沢山もらっているんです。掲示板に貼ってある奨学金のポスターはいつもチェックしていました。医師は、先輩方からのお金で成り立っている職業です。国立大学の医学部に格安で入れるのも、国の助成があるからです。これは日本医師会の前々会長の横倉義武さんに言われたことなのですが、医師を一人育成するのに、1億円ものお金が掛かるのだそうです。それだけのお金を掛けられた人材は、その分きちんと社会に還元しないといけないですよね。僕の場合、現在は患者さんを直接的に治すという貢献はできないのですが、間接的な還元はできます。我々はミッションとして、“Supporting Doctors, Helping Patients.”を掲げています。ドクターをサポートするための形としてのコミュニティがありますが、それはドクターをサポートするためだけにあるのではなく、患者さんを救うための手段なのです。患者さんを救うためにメスを握る人もいれば、投薬する人もいる。そして僕は会社というツールを使って、“Helping patients”に向かうということをすごく意識していますね。

川﨑:間違いなくブレないところは患者さんを救うということですよね。一方で、以前は地方と都会で診療レベルの格差があったと思うのですが、インターネットというツールを通してその垣根が下がりましたよね。メドピアさんは格差を少なくする仕組みを作られたのかなという印象があります。

石見:それはありますね。東京女子医大に入って、順天堂大学や北里大学などの先生たちにもよくお会いしたのですが、信州にいた頃を考えると、東京に住むようになって日々会う人の数が全然違いました。会う人の数によって、その人の経験値ももちろん変わりますよね。そうした差が、インターネットによって完全に無くなったとは思わないですが、やっぱりその力はすごいわけです。時空を超える力があるので、これによって「MedPeer」が成立したのは間違いないですね。医学部生は各学年に100人くらいいますよね。100人いると、大体ひとりやふたり“一風変わった人”がいると思っています。そういう人間が一風変わったことをやるのですが、インターネットがあるとこの動きに対して仲間ができるんです。日本に医学部のある大学は81(※)あるので、そういう意味では全国で1学年に81人くらい一風変わった人がいる計算になります。それが、インターネットの力でつながりだしてすごいパワーが生まれ、力を及ぼすということが実際に起きています。大学を越えた医学部生の団体なんていうのも結構あって、SNSの時代がすごく貢献している気がします。(※)文部科学省 医学部を置く大学一覧(令和5年度)より

川﨑:それぞれのお医者さんから見てもすごく良い影響があると思いますね。今までつながれなかった人とつながって、議論もできるようになったわけですからね。

石見:医師の起業について医学部生にアンケートをとったんです。すると、5.2%の学生が「興味がある」と回答しました。すごいことですよね。興味はあっても実際に行動するのは100分の1くらいだとは思いますが、興味を持つだけでも、本当に時代は変わったと感じます。昔は後ろ指をさされて「お前は金儲けに走ったんだな」と普通に言われたので(笑)。

4 薬版の「食べログ」風サービスを作ったのが転機に

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川﨑:社会だけ見たら、貢献方法は無限にあるわけですよね。ちょっと話を変えますが、メドピアという会社を設立してから、大きな転機はありましたか?

石見:ビジネスモデルが成立したときが転機ですね。「人?物?金?情報」が必要だとビジネスではよく言いますけど、その全部がなかったので、ずっと辛い時代でした。そのようななか2011年くらいに、ビジネスとしてのブレイクスルーがようやく訪れたんです。医師の目線で薬を評価するという世界観が当時まだ無かったなかで、薬版の「食べログ」のようなサービスを作ったのが転機となりました。 飲食店を評価するサービスはあっても、医師の世界におけるソーシャルメディアはなかったので、新しい試みでした。そして、医師による薬の口コミを掲載するページに、製薬会社が広告を出稿したのです。そこには多くの医師が見に来ているので、そのタイミングで製薬会社から情報提供してもらうことで、広告効果が見込めます。これがビジネスとして今の収益の柱にもなっているのですが、そこが立ち上がったのがすごく大きかったですね。

川﨑:製薬会社にとっては、医師にうまくアプローチできるツールになったわけですよね。医師としても、自分の直接の知見ではなくても、そこで会話したり情報を得ることが、良い診療につながることになると。

石見:そうですね。医学の世界では、根拠に基づく医療=“Evidence-Based Medicine”(EBM)のマニュアルがすごく整備されているのですが、患者さんはそれぞれに違うので、マニュアル通りにはいかないんですね。多くの医師が状況に応じてそれぞれチューニングをしているのですが、そのナレッジ=集合知を集めて一人一人の医師に還元していくという発想がなかったんです。EBMがなくなることはないですが、もう一方で経験の集合知によって医療が適正なものになっていくという世界観ですね。

川﨑:今まで10年以上会社を運営されてきたわけですが、この先どういうふうにメドピアは変わっていきそうですか?

石見:「登山に例えて何合目まで来たか」という質問を時々いただくのですが、心からまだ1合目だと思いますね。ようやく日本の医師の約半分の方に「MedPeer」会員になっていただいたところです。競合の会社ももちろんありますが、日本の医師の約半分に情報を提供できる体制というのは、弊社と他の数社しか持っていないので、まさにここからが始まりだと思っています。“Supporting Doctors”が収益の柱でもありますが、これからは患者さんを救う“Helping Patients”に向けて何ができるのかというところですね。メドピアはIT企業ですが、最終的に医療は、やはり手当てで終わるわけです。そのため抽象的ですが、IT企業としてのナレッジと医師のネットワークを活用し、患者さんを救うところにきちんと向き合っていく―、そういうサービスをどんどん作りたいと思っています。 現在、会社として3つのセグメントがあります。1つ目が「集合知プラットフォーム」と呼んでいる医師のコミュニティです。ビジネス面で大きな柱となっており、既存事業ですが、さらに深堀していきます。 2つ目に、「予防の領域」があります。究極の“Helping Patients”は患者さんを発生させないことなので、予防の領域の事業にも力を入れています。 そして3つ目に、病院でDX事業を進める「医療機関支援プラットフォーム」というものがあり、信大病院にも今提案しているところです。病院でDXが進んでいけば、効率的かつ安全に医療に取り組めます。働き方改革が進んでいるなかで、病院というのは本当にアナログなんですよね。まだFAXもあって紙社会ですし、電話もひっきりなしに鳴って。そこはもっと効率性をあげてミスを減らさなきゃいけないと思うので、そちらの領域も進めていきたいです。今はちょうどいいタイミングであり、それに取り組むくらいの体力が付いてきたように思いますので、1合目からどんどん進んでいきたいなと思います。

川﨑:時代の流れからするとそうですよね。政府も世の中もDXを推進しているなかで。

石見:そうですね。政府も保険証を廃止して、医療情報をデジタル化していこうという流れですよね。出来高払いから、一気に価値に対してお金を払う時代になるので、そこにちゃんと貢献していきたいなと思います。

5 学生時代に大切な人のネットワークづくり

川﨑:最後に、これから社会に羽ばたく信州大学の学生に一言いただけますか?

石見:僕が大学生の時を振り返ると、友人たちと楽しくお酒を飲んでいただけだったんですが(笑)。ひとつ思うことは、大学生はやはり、人のネットワークを大事にした方が良いんじゃないかなと思います。もちろん大学内だけに閉じずに地域の人とつながったり、さらには東京に出て行ってもいい。場所が自分の制約にならないという意識は持った方が良いのではないかなと思います。 全学で“たこ足大学”というのもひとつですが、信州大学は本当に特徴のある大学だと思っています。このインターネットの時代、東京にいなければできないなんてことはないですよね。この後に取材をさせていただく医学部小児医学教室の中沢洋三教授?小児科長もまさにそうです。自分が大学生の時に、「信州から世界へ」とおっしゃっている先生がいて、その言葉を疑っていたのですが、中沢教授はまさに実現しているじゃないですか。そんな時代になってきていますよね。

川﨑:学生の起業についてはどうですか?昨今、すごく増えています。

石見:(さらに)起業をするなら、横のつながりがすごく大事です。起業に関する様々な本がありますし、インターネットにも情報がありますが、人からの情報もとても多いと思うので。そのような情報を得るためには、やはり東京の方が有利にはなります。 僕が東京でこういう活動をしていると、医学部生なんかも会いに来ます。わざわざ筑波から僕のところに話を聞きにくることもありますよ。そうしたことは学生だからこそできることでもあると思います。社会人だと「営業ですか?」と思われて警戒されてしまうことも、学生という立場ならそうした心配はあまりない。こうしたことから、学生のうちに人と会い、ネットワーク作りに取り組むことが重要です。それが自分のインプットになって、ガチャガチャと脳を揺さぶり、次の動きになって…。若さがなせることですね。

川﨑:「まずやってみよう」ということですね。

石見:そうですね(笑顔)。

川﨑:今日は短い時間でいろいろなお話をしていただき、ありがとうございました!

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