1969年東京都昭島市生まれ。1994年信州大学経済学部卒業後、大学生協(東京地区)に就職し、早稲田大学生活協同組合に勤務。2004年12月東京農工大学生協に移籍して工学部店に勤務、「ひとことカード」がネットで話題に。2005年11月に『生協の白石さん』(講談社)が発売。大ベストセラーとなる。同年、東京農工大より、感謝状が贈られる。2008年11月東京インターカレッジコープ渋谷店長に就任。2009年春から3年間NHKラジオ「渋マガZ」に出演。同年1月、東京農工大の広報大使第一号に任命される。2013年7月法政大学小金井キャンパスの小金井店長に就任した。
あの「生協の白石さん」の"いま" 白石 昌則さん(経済学部卒)信大的人物
あの「生協の白石さん」の〝いま? 信大卒、〝国民的生協職員?にズームイン
「生協の白石さん」という単行本をご存知だろうか?2005年に講談社から発行され、あっという間に販売部数が93万部を超えた大ベストセラーだ。筆者は、当時東京農工大学の生協職員だった白石昌則さん。知る人ぞ知る信州大学経済学部のOBだ。
「生協の白石さん」ブームから、およそ10年。職場は東京農工大生協から東京インターカレッジコープへ、さらに法政大学小金井キャンパスへと変わったが、一貫して生協職員。現在は店長を任されている。学生が生協へ投書した「ひとことカード」に、優しさとウィットに富んだ「回答」を書き続け、〝国民的生協職員?として注目を集めた白石さんの〝いま?を取材した。
????? 信州大学広報誌「信大NOW」第87号(2014.5.30発行)より
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あの「生協の白石さん」の〝いま?
「生協の白石さん」が販売部数93万部の大ベストセラーとなったことは、当時、大きな社会的関心を集めた。書籍の内容は、生協に寄せられた「ひとことカード」に対して、白石さんが答えた真面目でウィットに富む短い回答を収録したもの。「なぜ、こういうものが売れるのか?」と多くの人々が注目し、話題が話題を呼んだ。
当時は、某IT系企業の社長が「人の心は金で買える」と広言して憚らなかった時代。「ひとつひとつの質問に、常に真摯に、丁寧に答え、それがユーモアに溢れていて面白い」と学生のブログやネット上で紹介された白石さんの回答は、ほのぼのとした人間味にあふれており、それが殺伐とした人々の心を潤したのかもしれない。
その後も、講談社から2冊、ソニー?マガジンズから1冊、ポプラ社から2冊の書籍が出版された。
白石さんは、「生協の職員として、普段の仕事をしていただけですから、自分の方が面喰ってしまいました」と当時を振り返る。出版も「是非に!」と頼まれ、断り切れなかったからだったという。話題になってもメディアにはほとんど顔を出さなかった。理由は、「普通の生協職員ですから」。こういう実直で地味な白石さんだからこそ、好感度が上がり、不思議と話題になっていったのだろう。
「仕事」の中で、楽しく、ひねって…
「ひとことカード」の類のものは、当時、東京農工大学だけでなくどこの大学でも、生協組合員の声を運営側に伝えるツールとして存在していた。これに目を通し、業務の改善につなげることは、どこの生協でも職員の仕事だった。
「農工大生協の頃は、毎日平均5通ほどの投書が来ました」と白石さん。カードの内容は、生協への苦情や提言?要望などがほとんどだったが、そこは学生が書いた投書カード、生協の業務を離れた、世相を反映した大学への苦言から、進路や恋の悩みまで、様々な内容のものが混ざり込んでいた。
「学生が問いかけてくれることには、すべて答えよう」。こう考え、実行しことが大きな〝ちがい?だったのかもしれない。
しかし、立場はあくまで生協の職員。「仕事として」という制約の範囲内で書くことを心掛けた。肩肘を張らずに、変にへりくだったり、上から目線になったりしないように、自然体で答えることに努めた。さじ加減が難しかったと思うが、白石さんは、「長い経験から、裁量を心得ていた」と笑う。「余白があれば一言添える」という姿勢で書いた。
そのメッセージが、小粋でウィットに溢れていると評判になったのだ。「あくまでも仕事」だが、その行間、隙間から覗き見ることのできる「人間味」が人気を集めたのだと言えよう。
「ひとこと」に滲む誠実が広げる世界
ある時、「バストアップ用品を置いて下さい」というひとことカードがあった。筆跡などから投稿者は男子学生だと推定できたので、「残念ながら、生協では扱っていないのですが、胸囲の増加を図るためのプロテインなら取り寄せできます。でも、それでは、バストアップというよりビルトアップですね」と返事を書き、掲示板へ貼り出した。
翌日、生協を訪ねた学生たちは、掲示板の白石さんの〝返信?を見て明るい笑顔だった。
ところが、掲示板は多くの人に見られるもので、投稿者とは別の体育会系の学生から、なんと!「プロテインを取り寄せてくれるのか」と注文が入ったのだという。ダース単位の扱いしかなく高額になったが、注文した体育系男子は、部費を使って1ダースも購入してくれたそうだ。
職務上の立場をわきまえながら、まじめに、ウィットに富む答えをひねったことが、どんな風に反響を広げていったかを示す楽しいエピソードだ。
当時の上司が「生協の白石さん」の発刊にあたり、「白石さんは、どんな要望にでも、ユーモアと絶妙な変化球を織り交ぜて回答する誠実な人柄だから学生に支持されるのだ」という一文を寄せているが、まさにそれを地で行く一例だと言えよう。
もちろん「仕事上」も大きな影響があった。東京農工大の知名度は上がり、生協の来店数も倍増した。2005年には、同大学から感謝状が贈られ、2009年には、同大学の広報大使に任命された。
生協のない大学の学生?教職員を組合員とする東京インターカレッジコープ渋谷店の店長として異動した後も、生協がない大学に出向いて講演なども行い組合員を増やすことに尽力した。2013年7月には現在の法政大学小金井キャンパスの生協の店長に就いたが、白石さんを慕って店を訪ねる学生も多く、かなりの好感をもって、受け入れられているという。
信州大学思誠寮生時代を語る
白石さんは、東京都昭島市出身。長野県松本市での4年間は、男子学生のための寄宿舎だった思誠寮で過ごした。
同寮は、寮生による自治寮。寮の環境整備から寮費の徴収、事務作業や大掃除に至るまで、寮生自身が行っている。70~80名の寮生は皆、1年に2回ほどは何かの役目の委員が回ってきたという。
白石さんは、土日はカラオケ店のバイト、平日も力勝負の単発バイトなどをしながら、寮の運営や寮生の付き合いにも惜しまず参加した。寮生でバンド演奏に励んだり、早朝サッカーに打ち込んだり、「大学時代は寮生活に尽きる」と話す。
「寮では、決まり事などを伝達するために掲示板を使っていたのですが、寮生はあまり見てくれない。そこで、それぞれに工夫を凝らしました。注視してもらう為に、面白おかしく書いたり、ひとこと余計なことを書いて、楽しんでもらったり。もしかすると、その経験が『ひとことカード』に生きたのかもしれませんね」と笑う。
それはともかく、人との接し方、一定の規律や制約の中で、個性を発揮し、楽しむことを思誠寮の生活の中で身に着けたことは確かだろう。
今どきの学生へ、「面倒がらずにやってみよう!」
「大学時代は、高校までとは違い、自主性に任せられる時期。でも何をするかはまだ見えないことが多い。成人式を迎えても先々が見えず、なんとなくぼんやりしている人も多い時期だと思う。ここで、何かをやってみるか、二の足を踏んでやめてしまうか―で先々が変わってくる。面倒くさがらずに、やってみることで、免疫ができ、耐性をつけて、社会に踏み出す準備ができると思う。その時期を無駄に過ごしてほしくない」と話す。
そして最後にひとこと。
「大学生協は、長年学生のニーズに応えてきた歴史と信用があります。国公立大学も法人化して、コンビニなどが出店し競合していますが、まだ伸びしろはあります。独自の運営を任されている生協だから、創意工夫次第で成長していきたいと思います。組合員の増加を図り、皆様のお役に立ちたい生協であり続けたいと思います」。
さすが「国民的生協職員」。生協人としての誠実で丁寧な解答。白石さんの実直さとほのぼの感があふれたようだった。
(2014年3月取材)