ネパール、キャシャール峰南リッジ初登攀 第21回ピオレドール賞受賞!!信大的人物
馬目弘仁さん?花谷泰広さん
今年4月、登山界最高の名誉と言われるピオレドール賞(黄金のピッケル賞:主催はフランスの山岳雑誌等)を信大卒業生の花谷泰広さんと馬目弘仁さんらのチームが受賞した。
ピオレドール賞とは、自分で持てるだけの装備で未踏など冒険的なルートに挑み、困難な登攀を成し遂げた偉業を称え授与される。これまでに日本隊がピオレドールを受賞したのは4隊だが、なんと、うち2隊が信大卒業生らのチームだ!(2011年にはローガン南東壁初完登で信大卒の横山勝丘さんが岡田康さんと受賞)
信大OBのクライマーたちは世界的レベルで活躍している。受賞の2人に話を聞いた。
*チームは、青木達哉さんと3人の登山隊で受賞した。
(文?中山万美子)
キャシャール峰
今回、初登攀に成功したキャシャール峰は、ネパールヒマラヤで標高6767m。2000年に解禁され、2003年には西稜から初登頂されている。南リッジ(尾根)はこれまで何度か海外の登山隊が挑戦してきたが、いずれも頂上には至らなかった。
この山をずっと見つめてきたのが、馬目さんだ。信大生だった22歳の時に初めて行ったヒマラヤ遠征で、当時「ピーク43」の名で知られていたキャシャールに出会った。その美しさに感動???。それから20年以上の時を経て、ようやく登ることができた。
メンバー2人には馬目さんが声をかけた。K2(カラコラム山脈、エベレストに次ぐ標高)の最年少登頂記録を持つ20代の青木達哉さんと、長く付き合いのあった花谷さんだ。3人は2012年4月にチームを結成し、10月中旬に日本を発ち、11月6日~12日にキャシャール峰に挑んだ。
花谷泰広さん
Q キャシャールを目の前にした時にどんなふうに思いましたか?
これは、簡単には行かない???正直登れるかどうかわからないと思いました。まあ、その引き際だけ間違えなければ死ぬことはないですから、だめなら帰ってくればいいと。
Q 登り始めてどうでしたか?
前半はわりと順調で余裕がありましたが、認識不足でした。4日目に状況が変わって、目の前に、まるで恐竜の背のような雪の襞、ヒマラヤ襞が現われました。翌日、ぼくがリードして雪の襞を登っていたら馬目が声をかけてきました。「そこから先へ進めそうか」と。ここから先へ進むということは頂上まで登らなきゃ帰れない???。ここで退路を断って、登るしかないと腹をくくりました。たしかな根拠はないけれど、いけるだろうと思ったんです。
Q やっとの思いで辿りついた、頂上はいかがでしたか?
いや~、もう早く降りたいと。疲れていて危なかったですから。登山は降りなければ終わらない、頂上は通過点です。キャシャールは、ぼく自身100%の能力、もしくはそれ以上出さないと登れない山でした。
Q 「これをしたから突破できた」ということはありましたか?
何も特別なことをしたわけではなかったですね。一つ一つ、当たり前のことを丁寧にこなしていったら登れたということです。
ぼくは、今回登れたのはご縁があったからだと思っています。天気や山の状態、一緒に行く仲間と、すべてが揃っていなければ登れなかったし、そもそも未踏だからこそ、ぼくは行きました。そういうことも含めてご縁です。登ったという感じと登らせてもらったという感じが両方とも入り混じっています。
Q 信州大学の経験は、現在も生かされていますか?
信大の山岳会で鍛えられたことが土台となって、ここにもつながっています。重い荷を担ぎ、長い間山に入り、学生だからこそ許されるトレーニングで山の中にいられる能力を高めることができました。これができなければどんな山にも行けません。いい環境に育ったなと思います。
Q これからの予定?抱負はありますか?
今年の秋に、またネパールヒマラヤへ行こうと計画しています。大きな山で、今回よりも厳しい登山になると思いますよ。これからは、ガイドの立場も活かしてもっと山と人を近づけたいですね。山の楽しみ方がわからないのは、もったいないですから。
*1:田辺 治さん。1961年名古屋市生まれ。農学部卒業。登山家。ヒマラヤの登山家として世界トップレベルの実績を持ち、2009年学士山岳会?山岳会の記念事業では隊長を務めたが、翌2010年9月、ネパールヒマラヤのダウラギリにて雪崩に巻き込まれ遭難した。
馬目弘仁さん
Q キャシャールを目の前にした時にどんなふうに思いましたか?
馬目:かっこいい。いい山選んじゃったなーと思いました。高所順応をかねて、尾根を違う角度から見たら、傾斜が70~80度ぐらいあるんです。ぼくは、これまでの登山で始めに「登れない!」と思ったことはなかったんですが、これは絶対に登れるとはいいがたいなと思いました。
Q 頂上近くは大変厳しかったようでしたが、いかがでしたか?
6日目の頂上では、下降の事しか考えていませんでした。自分が持つかどうか不安で…かなりの恐怖心があった。今思うと、あんなにあせらなくてもよかったんですが、未熟でしたね。ぼくは、もうヨレヨレで。これで明日起き上がれなかったら、死ぬしかないと思いました。それでも翌日思考力が戻り、冗談も言えるようになりました。回復した自分を褒めてあげたいくらいでした。降りてきて、3日目にようやく登ったんだなあと、うれしさがこみ上げました。本当に充実した登山でした。
ルート名は、3人で話し合って、Nina(シェルパ語で太陽)としました。ずっと僕達を暖かく包んでくれたその偉大な存在に感謝を込めて、また現地の言葉にしたのは、宿のご主人と奥さんへの感謝の気持ちです。
Q ピオレドール賞のセレモニーはいかがでしたか?
フランスのシャモニーとイタリアのクールマイユールで開催されました。横山くんの受賞した2年前より規模が縮小していると聞きましたが、ぼくらにすれば、「なんじゃ、こりゃ」というぐらいすごい歓迎を受けました。みんながアルピニズムを理解し、称賛しているんです。ピオレドール賞をいただけたのは、素直にうれしいです。でも、いろいろなことが頭をよぎりました。
Q どんなお気持ちがあったのでしょうか。
ぼくは2011年の震災の時に、それまで人生=アルパインクライミングだと思っていたのが、それよりも大事なものがあることを実感して、アルパインクライミングは中心ではなくなりました。もう登山はやっていられないかもしれないとも考えました。
そんな時、信大の農学部の登山学演習(担当:小林元准教授)の講師をと依頼され、学生と一緒に中央アルプスの山に登り、満点の星空を見上げました。
感動する学生達の姿に「登山って、こういう良さがあるんだよな」ととても新鮮に感じて、「またやってみよう」と決心するきっかけをもらいました。自分たちのしていることが、なでしこジャパンのように、人を元気にすることができるのかどうか。今は社会的意義みたいなものを考えています。
Q 今後はどんな活動を考えていますか?
6年ほど前に横山くんと創設したアルパインクライミングのウィンター?クライマーズ?ミーティングを中心に若手を応援していきたいと思います。そして、またヒマラヤへ行きたいと思います。(了)