信大同窓生の流儀 chapter.12 "神の鳥"に魅せられた山岳ジャーナリスト 近藤 幸夫さん信大的人物
夢の「ライチョウ復活作戦」密着取材に人生をかける 山岳ジャーナリスト
志を持っていきいきと活躍する信大同窓生を描くシリーズの第12回は、山岳ジャーナリストの近藤幸夫さん(農学部卒業生)をご紹介します。国の特別天然記念物であり、山岳信仰と結びついて“神の鳥”とも呼ばれるライチョウ(雷鳥)。近藤さんはその魅力に取りつかれ、中央アルプスでの「復活作戦」の密着取材に人生を掛けて取り組んでいます。昨年4月には、作戦の濃密な記録をまとめた書籍も出版しました。自らも調査を手伝うなど、ジャーナリストの枠を超えてライチョウの復活に情熱を注ぐ近藤さん。その源はどこにあるのか、長野市のオフィスでお話を伺いました。(文?佐々木 政史)
????? 信州大学広報誌「信大NOW」第150号(2025.3.31発行)より
近藤 幸夫さん PROFILE
大手新聞社を退職してでも ライチョウの復活を追う
善光寺表参道の裏通り、40年以上使われなくなっていた町工場をリノベーションした建物があります。古本屋、カフェ、建築設計事務所などが入居する部屋を横目に進み、突き当りの急な階段を上がった先にあるのが、山岳ジャーナリスト 近藤幸夫さんのオフィス。そこはまるで山小屋のような雰囲気です。
近藤さんは信州大学農学部を卒業後、1986年に朝日新聞社に入社しました。初任地の富山支局(現富山総局)で北アルプス?立山連峰を中心にした山岳取材を担当。ここから山岳専門記者としてのキャリアをスタートさせ、大阪や東京本社運動部(現スポーツ部)在職中は、南極や北極、ヒマラヤなどの海外取材を多数経験したそうです。
そして、2013年に東京本社スポーツ部から長野総局へ異動。2021年に早期退職し、現在はフリーの山岳ジャーナリストとして、長野市を拠点に様々な媒体を通じて発信を行っています。
そんな近藤さんのライフワークと言えるのが、中央アルプスでの「ライチョウ復活作戦」の密着取材です。中央アルプスでは、かつてライチョウが生息していましたが、20世紀後半には激減し、1970年代には絶滅したと考えられていました。しかし、2018年夏に中央アルプス?木曽駒ケ岳で1羽のメスのライチョウ(飛来メス)が確認され、これをきっかけに翌年から、鳥類学の権威である信州大学名誉教授の中村浩志さんを中心に、環境省、動物園などが連携した“復活作戦”がスタートしました。これは、北アルプス?乗鞍岳から移送したライチョウ3家族(計19羽)と飛来メスの集団を元に繁殖個体群を復活させるプロジェクトです。動物園で繁殖させたライチョウの野生復帰も目標に掲げています。
「過去に富士山や金峰山で同じようなことに挑戦して失敗しているわけですよ。夢のようなプロジェクトだと思いました」と近藤さんはスタート時を振り返ります。
当時、近藤さんは朝日新聞社の記者として、この復活作戦に密着取材。50回以上も木曽駒ケ岳へ登り、復活作戦の取り組みを追いました。朝5時に起き、土砂降りの雨に凍えながら、ライチョウ探しの調査を手伝ったこともあるそうです。「もう、記者というよりは、気付いたら中村先生の秘書のような感じになっていました」と苦笑する近藤さん。
1年目は失敗に終わりましたが、雪辱の2年目からは見事に成功し、中央アルプスでライチョウは徐々に増えていきました。
しかし、プロジェクトが軌道に乗り出した折、2021年に近藤さんに思ってもみなかったことが起こります。甲府総局への異動を言い渡されたのです。定年退職まで、残り2年9ヶ月のことでした。近藤さんは「一晩考えさせてください」と言って、翌日、35年間勤めた朝日新聞社を早期退職することを上司に伝えました。
「ようやく取り組みが本格化してきたのに、ここで長野を離れたら何のために取材してきたか分からなくなるじゃないですか」
大手新聞社での安定よりも、復活作戦への情熱を優先させたのです。
そして昨年4月、復活作戦への長年の密着取材をまとめた書籍『ライチョウ、翔んだ。』(集英社インターナショナル)を出版。様々なメディアで話題となり、「開高健ノンフィクション賞」の最終候補作にも選ばれました。「ライチョウ復活作戦を広げていくためには、もっと世の中の多くの人に知ってもらうことが必要。自分が本に書いて記録として残さなければいけないと思った」と、近藤さんは書籍執筆に掛けた想いを語ります。
転機となった記者会見 絶滅の危機に衝撃を受けた
近藤さんがライチョウ取材に取り組むきっかけとなったのは、朝日新聞長野総局に赴任してから2年後、2015年に長野県庁で開かれた記者会見でした。
「北アルプスでニホンザルがライチョウを捕食していることが初めて確認されました。これが複数の群れに広まれば、絶滅の危機も考えられます。ひいては高山帯生態系への影響も懸念されます」
中村さんがこのように話した時、「これは大変なことになるのではないか」と大きな危機感を持ち、メディアの一員として報じていく使命を感じたといいます。
また、中村さんの人柄や生き方に魅せられたこともライチョウ取材にのめり込んでいった要因のひとつだそう。「中村先生って、とにかく調査に掛ける情熱が桁違いにすごいんですよ。ライチョウの調査や保護活動のため年間100日以上、高山帯で過ごし、何万回ものついばみを何日もずっとカウントし続ける。そんな人は他にいないですよ」と近藤さん。
一方で、中村さんの方も近藤さんに一目置いていたようです。「中村先生は自分へも他人へも厳しい方ですので、他の記者は皆怒鳴られたことがありますが、私はほとんど怒鳴られたことがないんです。理由を聞くと『近藤さんは仕事に人生を掛けているから』と言われました」
近藤さんの人並ならぬジャーナリストとしての熱量を感じ取っていたのかもしれません。
自分が書かなければ 歴史に埋もれてしまう
近藤さんは朝日新聞社での記者時代に2度南極に取材に行きましたが、その際にピューリッツァー賞の受賞経験もあるジャッキー?バナジンスキーさんという米国人記者から言われた“ある言葉”が現在でも印象に残っているといいます。それは、「ジャーナリストの本来の仕事は、誰でも書けるニュース記事ではなく、自分が書かなければ歴史に埋もれてしまうような記事を書くことだ」というもの。復活作戦をはじめとしたライチョウ保護活動の密着取材についても、そのような意識で取り組んできたそうです。
『ライチョウ、翔んだ。』は、まさにその集大成と言えるものですが、近藤さんはライフワークとして、ひきつづきライチョウ復活作戦を追っていきたいと考えています。作戦の最終目標は、中央アルプスのライチョウが人の手で保護しなくても自立的に増えるようになること。現在、ライチョウは環境省が野生生物の絶滅危険性を評価した「レッドリスト」において、「絶滅危惧ⅠB類(将来の野生での絶滅の危険性が高いもの)に指定されていますが、中央アルプスが新たな生息地になれば「絶滅危惧II類」(絶滅の危険が増大している種)へのダウンリストの可能性が高まり、絶滅の危険度が下がります。
「必ずそれを見届けたいんです」
そう話す近藤さんの目は力強く、楽しそうでした。